天鵞絨(びろうど)と紺碧(こんぺき)

40代後半アラフィフ女性の日常記録。ブログ名は好きな色の名前から。ひっそり綴りたいので、リンクはお断りしております。

過去への感情

メールの整理をしていて、

Aさんからの当時のメールがたくさん残してあって、

 

それを見ていたら、

すごく辛くなって、息苦しくなった。

 

それらのメールを受け取った当時は、

ありがたいと思って、自分の何が足りないのか、どうしたらいいのか、

なんとか答えたい、ほんとにその通りだ、と

ある意味前向きに受けとめていたはず。

 

今読み返すとこんなに苦しくなるのはなぜか。

 

わかりやすい文章と言葉で、どうしてこんなに上手く表現できるのか、

と感心していたけれど、

洪水のように送られたメールの言葉の中で、

私は溺れてしまったんだろうな。

 

溺れてついに呼吸困難になって、

ともかくもその言葉の渦から離れてみて

やっと息ができるようになった。

 

もうその言葉に答えなくて良いって自分に許可をだした。

 

その言葉はAさんが、Aさん自身の考えやポリシーを綴ったものであって、

私がそれをすべて飲み込まなくてもいいんだ。

私には私の考えやポリシーがあってよくて、大事にしていいんだ。

私の人生なんだから。

 

当時は、Aさんの言葉が素晴らしいと思っていたし、

自分にも必要なものだと思っていたし、

私の周りのみんなにも、プラスの要素だと思っていた。

 

今は、もうそう考えなくてもいい。

 

あのとき、溺れないようにする方法はあったのかな。

でも、精一杯だったよね。

私が全身で受けとめたかったんだよね。

その言葉の洪水の目的を、常に意識すればよかったのかもしれない。

私の役割の先にある、利用者のため。利益のため。

仕事なんだから、そう考えるのがあたりまえなのに、

そのときは、すべてが自分に向けられた言葉だと思って、

必死にもがいてしまった。

 

今感じたこの苦しさは、

当時必死にもがいて感じる余裕もなかった感情を

感じ直したんだろうと思う。

こんなにも苦しかったり、悲しかったんだね。私。

 

よくがんばった。

 

あれだけの言葉を贈ってくれたことに感謝をして、

受けとめようとした自分も誉めてあげて、

でも悲しい・辛いという本当の心を認めずに自分をないがしろにしてしまったことを失敗と受けとめて、

これからの経験に活かしていこう。

 

スケジュールに関する考察

今日は何の予定もないフリーの日だった。

 

そこで、やりたいと思っていた家の仕事を書き出して、

時間軸にあてはめて、スケジュールをたててみた。

 

結果、

まぁ、まんまと、

午前中に終える予定の仕事だけで夕方くらいまでかかってしまった。

午後に予定してた仕事は手つかず。。。orz

 

短期的にも長期的にも、

スケジュールを組むのが苦手である。

友だちと会うとか、どこかに遊びに行くとか、

そういう単発の予定は得意。

そのための段取りや準備、人との調整はできるほうじゃないかな。

 

けどけど、連続した作業を工程表に当てはめて予定をたてておいて、

それをその通り実行したり、

できなかったら見直したりして遂行する、

というのがほんとに苦手。だったんだなぁ。。。改めて。

 

前の前の職場のときは、ルーチンとして数ヶ月〜半年くらいかけて仕上げる業務で、

なんとか遂行していたのだけど、それは、長時間残業で最後で間に合わせていた面が大きかったんだな。

 

つまりは、

見積もりが甘い、ということ。

 

でもね、かといって、

余裕のあるスケジュールにすると、さらにその内容でも遅れがでそうな気がするのですが、、、なぜでしょうか。

 

ま、自分がどうしたいか、だね。

スケジュールたてて、その通りにできるようになりたいのか。

スケジュールはいいから、やろうと思ったことが終われば良いのか。

スケジュールもなくていいし、やろうとおもったことが終わらなくてもべつにいいのか。

 

やろうと思ってたことが終われるなら、スケジュールはなくてもいいな。

でも、たいてい、やろうと思ったことが終われないから、スケジュールにしたほうがいいと思ってそうしてたけど、こうやって一つ一つ考えていくと、どっちにしても、終ってないことは一緒だ、ということがわかった。ww

 

これくらいはできるはず、が、できてない(しかもずーーーっとね!)、のだから、

自分の「できる」は過信だ、ということである。

そこに向き合ってね、自分の作業量を把握できないと、ちっとも改善していかないなー。仕事も家事も。

 

明日も午後はフリーだから、

本日の考察をふまえて、スケジュールをたててみよう。

ドライブとコンサート

従兄弟のコンサートを聴きに、

高速道路を使って片道1時間ほどの距離だが、

内容も興味があったし、演奏家としての従兄弟のファンでもあるので、

急遽行くことに決めた!

 

3人という小編成と、テーマはバロックということで、

厳かなコンサートになるのかな?と思いきや、

軽妙なパーカッションが入り、とても聴きやすい楽しいコンサートになっていた。

そもそも、役所のオープンスペースが会場なので、聴きにくるのは不特定多数なお客さんということも想定して、のことだろう。

演奏家それぞれのキャラクターが伝わってくるような演奏で、

とても楽しめた!

 

ステージとの距離も近かったので、

奏者同士のアイコンタクトなども感じ取れ、

それによって演奏が変化していく息づかいのようなものも感じ、

その場で新しい何かが生まれるような緊張感もあり、

満足度の高い演奏会だった。

 

ふらっと入ったお弁当屋さんも美味しかったし、

年に1度か2度、行くか行かないかという場所で、新鮮で、

ドライブも含めたショートトリップ全体が楽しかった!

 

音楽が大好きなので、年の近い従兄弟が演奏家であることは、

本当にラッキーなことだ。

機会があれば、今日のメンバーでこちらの市内にも演奏に来てほしいな〜。

ぜひ子どもたちにも聴かせてあげたいコンサートだった。

 

絵本講座

先週。

友人と、期間限定のカフェに行こうと約束していた。

 

たまたま前日に、そのカフェの店主さんが別のカフェで絵本講座をすることがわかり、

しかもその別のカフェの店主が私と友人の共通の知人だったので、

急だったけど、話しがスムーズに進んで絵本講座に参加することに!

 

絵本講座の参加者が、なんだかみなさん優雅な感じ。。。?

少〜し世代が上だからかな??

講座の講師さんのまとっている空気感が、すごくゆっったりとしていて、

自然体、無理をしていない感じ。

でもどこか凛とした軸は感じられて、そしてその方の絵本カフェは小さいながらもずっと続いていているというのも、好印象。


その日のテーマは「ミッフィーではない、ディックブルーナ」。

10冊ほど、絵本を読んでもらって味わう時間。

最初はついつい文字のほうを目で追っている自分に気づいて、

あれ?なんで絵を見てないの??と自分につっこみ。

意識的に字から目を離して絵を見ていると、なんだか新鮮。

子どもって、こうやって、絵による視覚と声による聴覚で、いろんなものを感じ取ってるんだろうなぁ〜、と感動。

文字って、感じ取る情報を制限してしまうものかもしれないなぁ。

 

さて、その絵本を読んでもらった後は、

特に感想を言い合うでもなく、でも関係ない話しをするでもなく、

その場の絵本を手に取りながら自然なおしゃべり。

 

なんだか優雅な不思議な時間だった。

 

その後、知人のカフェ店主のカレーもとても美味しかった。

 

次の一歩が踏み出せた!

先週。
聴くセミナーの後、

アルバイト希望の先方との面接へ。

 

ほぼ採用決まるとは思っていたけど、

実際どうなるかはわからないので、多少緊張して到着。

知人の顔をみて少しほっとして、

その場の長との面接も、自然体でお話できて採用決定!

 

まずは7月中に3回研修として入って、子どもの夏休み中はお休みになって、

9月から正式採用となる。

週2で子ども通学中にできる仕事なので、ゆとりを持ってできるはず。

 

私は、頼まれると、必ずしも私がやらなくてもいいのに、

がんばってしまうところがあるので、

この仕事ではそれをしないようにするのが、課題。

 

普通は、与えられた以上の成果をだす、というのを目標にするところかもしれないけど、

その姿勢で働いてきて、思ったような成果がでない、というのがようやくわかってきたので、方向転換してみる!

 

幸い、一緒にお仕事する、先輩の方が、そのへんとてもきっぱりしているようで、

「できないことはできないとはっきり言ったほうがいいですよ」と言われているので、

その方の姿勢を学ばせてもらおう。

 

私のこれからを考えたときに、メインとなる仕事ではないのだけど、

軸にしたいものを学びながら、その実践の場にしたい。

学びと実践と、自分の状態を確認しながら、

さらにその先のイメージを具体的にしていけたらいいな。

聴き方セミナー参加

先週は、いろーんな場所で人と会い、事が進んだ一週間。

毎日は記録できなかったので、思いつく順番で少しずつアウトプット。

 

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「あな吉手帳」考案者のあな吉さんが主催している「聴き方スクール」。

その体験版となる「聴き方セミナー」を受講した。

 

初めてのZOOMでのオンラインセミナー。

複数の人とオンラインで対面式で会話ができておもしろいツール。

さすがに講師の方は、映り方も心得てる。

 

最初は、

我が家の雑然とした風景を避けるために、

窓の外を背景になるよう、窓を背にして映したら、

まんまと逆光で、

まるでマンガのコナンの犯人かのように自分が真っ黒なシルエットにww

カーテン閉めたけど、全く効果がなかったので、

比較的、部屋の視覚的雑音が入らない向きで着席。

zoomが上手く使えるかも含め、

ちゃんと準備時間もとってあるのはさすがの配慮。

 

最初に講師の方の聴き方セミナーのポイント説明があり、その後、

メインのあな吉さんによる、個人セッション開始。

一人10分〜15分で、お悩みに関する会話をして、解決に導くというもの。

 

あくまでも相談者自身の言葉で解決にたどりつこう、というのが素晴らしいと思った。

あまりに相談者の思考・視野が広がらないときは、

あな吉さんが助け舟として、選択肢をあげたりもするが、

それはそこにいたるまでの会話ででてきた言葉だったり、

論理的に考えてその選択肢しかないよね、という選択肢を提示することもある。

 

あな吉さんが、

相談者の言葉を繰り返したり、

要約したりすることで、

相談者の思考が整理されていって、

そのときに相談者が無理なくできる解決につながる方法が導きだされていた。

 

私はトップバッターで相談したのだけど、

できるかできないかはやってみないとわからないけど、

まずはやってみたい!

という気持ちになって会話を終えられたので、満足。

その解決策がベストかどうかは、二の次だと思う。

そのときのその相談者が、

実際に行動にうつせる策かどうかが大事で、

まずはやってみよう、という気になるのが大事、

とみた。

 

やってみて、だめだったら違う方法を試せばいいので、

行動せずにずっと同じところを悶々としているところから、

一歩を踏み出させる。

しかもそれは押しつけではなく、

相談者の自分の意思で踏み出したくなる会話術、

というのがすごい。

 

今回はお試しだったので、

学びたい人はこの後、スクールに申し込むのだけど、

私はもうベーシックコースに申込みを決めた。

実際の講座は、9月から。楽しみ!

 

「向田邦子の恋文」

向田和子『向田邦子の恋文』を読んだ。

 

眺めの良いカフェの蔵書。連れが帰った後、一人で読み切ってしまった。

 

向田邦子は好きである。大人で知性と品があって、美意識もある、というイメージ。

妹さんから見た、邦子さんは、精神的にも経済的にも家族を支えていた、母よりも精神的に大人であったお姉さん。

 

稀に、神は、そういう特別な人を下界に遣わすのだ、、、と思ってしまった。

親の育て方だけとは、思えない。

 

N氏とのやり取りも、品があり、大人である。

しかしながら、秘めなければならない想いだったというのが、またせつない。

「重要で大きな部分を占めていながら公にはしない想い」を内に秘めている、というのが「大人」と感じさせる要素なのかな。

 

邦子さんが、家族を支え続けたその精神力、責任感、家族愛と、それらがとても強いものにも関わらず、ちっとも喧伝するでもなくごくごく自然にふるまっていることに感動してしまった。

 

よくやるのだが、読後にAmazonの書評を読んだりする。

そしたら、「姉の秘め事を公にして喰いものにする強欲な妹」というような感想を抱いている人が複数人いて、驚いた。

そういう見方もあるんだなぁ、と。

 

私は、作家向田邦子の人間的な奥深さが知れたことに感動した。