天鵞絨(びろうど)と紺碧(こんぺき)

40代後半アラフィフ女性の日常記録。ブログ名は好きな色の名前から。ひっそり綴りたいので、リンクはお断りしております。

視点て大事

たくさん書きたいことがたまってしまった!!!

 

今週のこと、まとめつつ。

 

10月1日(月)

習いごと保護者つながりのお二人とおしゃべり会。

職場を紹介してくれた9さんのお宅で、いつも私を応援して支えてくれるIさんと。

 

9さんとは職場のことを。

専門知識や経験豊かな他のスタッフの中で、9さんと私は、いってしまえば素人スタッフ。

その中でどういう役割を果たしていけばいいだろうか、という共通の悩み。

 

そのときは、9さんに上手く伝えられなかったけど、

私たちは私たちなりの役割があって、

自分ができることを丁寧にやるのがいいだろうな、

という、ごくごく当たり前なんだけど、つい忘れがちなことを思う。

 

それは、もし、自分が専門知識のあるスタッフだったら、

あきらかに素人なスタッフに対して何を期待するか、という視点の転換。

 

自分と同じ知識や、利用者さんへの回答を期待はしないだろう。

だったら、何を期待してるか。ということ。

 

私にできることは、

笑顔で気持ち良く対応して、困ってそうならできることでフォローして、

解消してくれそうな人・場所とつなぐこと、だよな。

<追記>専門スタッフの対応中には、他の雑事の対応をすることも。

 

そう思ったら、楽しく仕事するのが一番だな!とまた笑顔になれる。

 

Iさんとは、娘2人とも同じ年なので、悩みも似ていて、

上の子のスマホ問題。

難しい、、、

何が難しいって、私の中の勝手な思い込みや「べき」が、

素直な思考を邪魔するから。

相当強い思い込みがあるのは感じてる。

その思い込みを一個一個見える化(書き出す)して、

本当にそうなの?ていう検証をしたほうがいいんだろうな、、、と思うけど、

そこまでわかってるけど、

それをするのが怖いくてイヤだ、と感じるくらい、強い。

自分が信じていることは、そんなものはないよ、ってわかるのがイヤ、なのかな。

あぁ、ここまで感じてるんだ、私。

まずは自分と向き合わなきゃいけないなぁ、、、この案件。

 

・・・はい。

 

あっという間に時間がたって、お開きになったけど、

もやっとしてたものを吐き出して、気分良く帰った。

 

10月5日(金)

 

Iさんと、「不登校」というテーマで、ある動画を見ながら、お互いの考えをシェア。

濃い時間だった・・

 

動画は一人で見てもよかったんだけど、

月一で参加している読書会のように、

他の人と、気づきをシェアしたほうがより深まるだろうな、とピンときたので、

子育てについて遠慮なく意見を言い合えるIさんに声をかけたら、答えてくれた。

 

本当に人と見てよかったなぁ。

一人だと、自分だけの考えで完結してしまう。

動画の内容に批判的に感じたり、違和感があったときにも、

また別の考えが聞けることで、肯定的な面を発見できたり、

深堀してくと自分も同じように感じていることに気付けたりできる。

 

その動画の中で一番インパクトがあったのは、

「もし自分の子どもだったら、不登校をいつまで受け入れられるのか」という質問。

「いつまで、というのは何才のことなのか」、と。

 

動画では、あえて、答えをださないテーマを与えられているので、

見ているこちらも、うーーーーん、と考えさせられる。

そして、私たちの上の子は今、中1、13才。

親として、いくつで自立を考えていて、だとしたら、いくつまでに何をする必要があるのか。

もし自分の子が不登校になったら、いくつまでに何をしておかなきゃいけないか。

(果たしてそれは学校に行かせることなのか?というのも私は考える。。。)

 

それから、視点の転換の意義深さ。

その動画についてあんまり具体的に書くのもまずいと思うのでぼかすが、

「自分を棚にあげて人にアドバイスをするならどうする?」

という質問。

これ、深い!!

実はこの質問の答えって、各自が、

自分に対して一番必要なアドバイスになってないか?!

と私は感じた。

 

我が身を振り返ると、

そのときつぶやいた私の言葉は、

まんま私の子育てへの一番必要なアドバイスだとしたら・・・

現時点で一番できてないということだとしたら、、、

ぶるぶるぶる・・・

それは、まずい。。。

やっぱりまずは自分と向き合うべし。

「片付けられない」「捨てられない」性格が変わる本

『「片付けられない」「捨てられない」性格が変わる本』 勝間まなみ

 

図書館より。

あまりにも、読んで字の如く、ですが。

私、片付けられない、捨てられない、です。

汚部屋か?というとそういうわけでもない。(と思う。)

どこか一部屋倉庫のような場所があるか??というとそういうわけでもない。

 

片付いた家、素敵なお部屋ではないけれど、

掃除機かけて、いちおう人は招けます。

客人が来るのは好きです。

 

ではどんな具合かというと、

各部屋の壁際や、出窓、カウンターなど、

「ここにはモノおけるかもよ!」とささやいてくる場所には、

かならず物が置いてある感じ。しかもそれは雑然と。

なぜなら「いつか片付ける」と思ってるから。

そういう「小カオス地帯」が各部屋に、ひと部屋の中にも数カ所、あるわけです。

そういう場所が目に入るたびに、もやもやもや・・・

部屋の状態は心の状態をうつす鏡、などとよく言いますが、

その通り、ですね。

 

それで、本書。

「片付けられないのは、実は『心の問題』なのです。」、と言い切って、

空間を片付ける「ための」心の整理の仕方を、具体的に、かなりのページを割いて説明しています。

 

後半5分の1くらいで、空間の片付けについて、

ざっくりいうと、自分に合った空間の片付け方の仕組みを作るためにどうするか、片付けるためのハードルの下げ方など具体策が書いてあります。

 

全体を通しての感想は、

そういう考え方もあるのか、と。

片付けられない、片付けたいとも思えない、ときは、

まず心の状態を確認して、この本でいう「メンタル・クリアリング」の必要があるよ、というときなのでしょう。

 

確かに、数ヶ月前の心にもじゃもじゃがいっぱいつまってたときに較べると、

今は片付けについて、具体的に心が動けるようになってきたし。

今の私は、どう行動につなげるか、という段階なのかな、と。

わかっちゃいるけど動けない自分をどう動かすか、

・やる、と日時を決める!

・やること(できれば手順も)具体的に決めとく!

・手帳に書く!

・いっそのこと人と一緒にやる!(Tさん企画の”先送り”片付けイベントを自分で自宅でやる。何回でも・・・)

 

これを繰り返すしかないんですよね。。。

そう、どんなに時間をかけて、ピッカピカにしたとしても、

それはそのときのこと。

それを続けないとと思うと、くじける。

その維持を、気安くするために、やってみよう、私。

家族も巻き込んで。思い切って人も巻き込んで!

 

読書後に、そのように思えた本でした。

 

ちなみに、「波動」「気」など一部スピリチュアル系の表現がでてきます。

 

以下、自分のためのメモ。文中より抜粋

 

◯片付けの問題は、個人の資質によるものというよりも、現代のストレスや悩みといったメンタルに直結しています。このことを無視して、片付けの方法を勉強し実行したところで、決して長続きはしません。長続きしなければ、それは問題の根本的な解決にはならないのです。

 

◯マイナス感情を受け入れるために

イヤな感情を感じ続ける作業というのは以外に難しいものです。

・・・ちょっと意識を他に向けた途端、その感情がふっとなくなってしまいます。

「なくなった」ということは捨てられたように思いがちですが、それは捨てられたのではなく、心の奥に隠れただけです。

マイナス感情に気づき、次にその感情を受け入れて感じ続けることで、あるとき、ふっとその感情は体から抜けていきます。それが、マイナス感情が捨てられた瞬間です。

 

◯「捨てるか捨てないか」の判断をするのはとても大変で疲れる作業です。

・・・本当に捨てたかったら、まず『捨てる』よりも『分ける』ことです。

・・・考えることをやめて「使っているか/使っていないか」で分別することです。

→これ!これ、たぶん、苦手。

「今は使ってないけど、ムニャムニャムニャ・・・」と言い訳を見つけて捨てられない。

まずはとにかく分けて、すぐ捨てなくてもいいから、どこかに置いておく。

使ってないものの山(総量)が見えたときに、どう感じるか。

あとは(使ってないのだから)捨てるタイミングがきたら捨てればいい!

夜ピラティス

9月26日(水)

 

週1〜2でピラティスを始めて4ヶ月。

今週は昼間予定がいっぱいだったため、初めて夜のレッスンに参加してみた。

 

そんな日に限って、大雨の夜。

しかも、昼間の仕事が、今日はいつになくヘビーで、夕方ぐっったりしてしまい、

あぁ、無理していくよりお休みしよう。。。とお休み連絡のためにMacに向かったら、

 

いやいや、予定していたことは実行しよう!

気持ちが疲れているときこそ、ピラティス

 

と思い直したら、スイッチが入って、

そこからバーッと夕食の準備もして、食べて、

出かけた!!
<このスイッチはなんだったんだろなー、スイッチを入れられる精神的な余力がある、ってことだなー


結果。行ってよかった!

気持ちも体もリフレッシュとはこのこと。

 

夜は昼間と先生が違うので、

いつもと言葉がけが違うことで、体に対する違う意識が働いたのもよかった。

思ったより、夜のほうが動けるのかも?!というのも発見。

疲れた〜(-_-|||、行きたくない〜(-_-|||、からの、行こう(^0^)!行ってよかった(^0^)!

に気持ちを切り替えられたのも嬉しかった。

なによりね、疲れた夜に、姿勢のきれいなしゃんとした方と会うと気持ちがいいね。

今後も夜ピラティスという選択肢は、あり。

最後は気持ちのよい1日となりました。

 

 

会いたかった人と会う

9月15日(土)

 

母の具合がよくないという連絡を受けて、

日帰りのお見舞いに千葉へ。

母は、確かに前回会ったときとは違っていたが、

聞かされていた状態よりはましで、少し安心する。

 

前日に連絡したら、

具合はよくないけど、すぐにどうこうなる状態でもないよ、

とわかったとたん、

 

ほんとに突然に、

「そうだ、実家と同じ県内の○○市に住んでる、大学時代の部活の先輩に会いたい!!」

という思いがふって湧いて来て、

 

移動の日の朝に、

情報が古くて通じるかどうかもわからない電話番号にSMSをしてみた!!

 

昨年くらいから、ぐるぐると気持ちが空回りしてうまくいかなかったとき、

何度か先輩のことを思い出してたんだよなー、

どうかなー、連絡つくのかなー、しかも当日の朝に連絡って、無理だよなー

とドキドキしながら出かける支度をしてたら、

 

先輩(Jさん)から返事が来て、

電話で打ち合わせて、会うことになった☆☆☆

すごーーーーーい!

こんなことってあるんだーーーー!!

 

大学時代の2学年上の先輩で、、、

その頃の私には、2学年上、というのがすごく大人に感じて、

かつ、いつもキラキラとしていた先輩が大好きだったなーと感慨深く思う。

 

Jさんのお住まいの近くの駅で待ち合わせたので、

Jさんオススメの、小籠包がめちゃくちゃ美味しいお店で夕食しながら、

1時間半くらいだったけど、話ができた。

 

最後にあったのは、別の先輩の結婚式かな・・・?
まぁ約20年分の、これまでの一番濃いいところを、

お互いに話せたんじゃないだろうか。

お料理もどれもすごくおいしくて、

本当に充実した時間だった。

 

日帰りでの私の帰宅後、

Jさんから「心の洗濯ができたよ✨」と感想をもらった。

私も、私の重い部分を聞いてもらって、

でもほんとに手短にしか話せなかったから、

「ふーーーん」ていう反応だったけど、

なんかJさんに聞いてもらえて、気持ちが軽くなっていた。

 

本当に、人生、いろんなことが起こるんだな、と思う。

Jさんは、大学時代には想像もしていなかったものを抱えていて、

おそらくそれによって、違う色のオーラを背負っているように感じた。

(私は実際にオーラの色が見えるわけではないけど、印象を言葉にすれば。)

でも、話してみると、

聡明さとか、ユーモアとか、可愛らしさとか

当時の印象と変わらなくって、また会いたいなぁと思う。

 

本当に会えてよかった。

これはもしや母が与えてくれたプレゼントなのかな?!と、

ついでに病床の母にも感謝することにしよう。

 

気持ちのよい集まり、とは

9月10日(月)

 

さかのぼって思い出しメモ。

 

習いごとつながりのママ達と、お気に入りの眺めのよいカフェでランチ。

・・・のはずが、この日は大雨で、せっかくの眺めが・・・||||||||||マックラ

それにつられて?か、

一人は、トラブルがあって来られなくて、3人での会。

 

私の密かな目標があって、

そのメンバーで集まるときは、たんなるママ友会話で終るのではなく、

できれば最後は前向きな気持ちで別れたい、と思っていた。

 

3人のうち、一人はなんとなく状況を知ってて、愚痴がでることはわかってたけど、

できればそこから、その場にいる全員が、なにか気付きのある話になるといいな、

と思っていた。

 

で、実際の流れ。

予想どおり、愚痴からスタートしたのだけど、私が

「すごくわかる。けど、こう考えてみるのはどう・・・?」みたいに言ったら

「いいの!私は愚痴が言いたいの。言ったらすっきりするから。

あ〜、すっきりした!」とのこと(^^;;

 

思わずもう一人の人と、

「え!今のですっきりしたの!すごいなぁ〜」

って感心してしまったww

いや、ほんと、彼女みたいに、「愚痴を言いたいから言う。言ったらすっきりする」

ということを意識できてるなら、それはそれでいいのかも。

 

で、その後の展開があまりよくなくて、

いろいろ話してたら、私もいや〜な気持ちがぶり返してきて、ヒートアップ。

あぁ、まだまだこんなに負の感情が立ち現れるんだなぁ〜、と実感。

まぁ、でもそれもそれ、ね。

自覚できたものね。

 

途中で、今日は、ともかく楽しく終ろう、と切り替えて、

今取り組んでること、とか話して終った。

他のみなさんがどう感じたかはわからないけど、

美味しくて楽しい会ではあったけど。

 

次回やってみたいこと。

「せっかくこのメンバーで話すなら、今の課題に対して何か改善できて、すぐに実行できることをひとつでも見つけて帰ろうよ!」
というのを、最初にみんなで同意のもと、話し始める、ということ。

 

グチもオッケー。

たわいのないばか話ももちろんオッケー。

でも、表面的な話だけじゃなくて、

お互いの知恵とか知識をシェアしながら、

みんなが前に進んでいける関係でいたいなーと思う。

 

進めない状況のときは、それでいいんだけどね。

泣きたいときは、そばにいるだけでもいいし。

ただ、その場にとどまるためのグチを、あれこれ視点を変えて言い続けるなら、

このメンバーでなくてもいい、と思う。

 

信頼できる人たちだから、

それぞれが会うと気分がよくなれる集まりでありたい、と思う。

 

 

 

 

「15人が選んだ幸せの道」

「15人が選んだ幸せの道 選択理論と現実療法の実際」ウイリアム・グラッサー

 

興味を持ち始めた選択理論心理学について知るために、図書館から借りてみた。

選択理論を提唱したグラッサー博士の本で、

グラッサー博士が選択理論を用いてカウンセリングをおこなっている様子(「現実療法」の現場)を、

グラッサー博士の考え方を交えながら、

主に会話形式で詳細を記したもの。

 

クライエントの抱える問題は、夫婦関係であったり、問題行動の多い少年とその教師だったり、うつ、アルコール依存症、自殺願望などなど・・・

必ずしも解決方法にたどり着いているわけではなく、

私はこういうカウンセリングをした、以上。(・・・その後クライエントがどういう行動を選択したかはわからない場合はそのまま)というスタンスを貫いているのも興味深い。

 

選択理論について知り始めたばかりなので、

博士のどういう態度がどういう手法(技法?)なのかはわからないのだけど、、、

私の感想は、

選択理論、すごい、すばらしいということ。

どこが?というところを私なりの言葉で考えていくと、、、

・カウンセラーとクライエントが対等

・カウンセラーがクライエントの人としての尊厳をすごく大事にしている

・カウンセラーが、何をどう言うべきか、何を言わないべきか、どのタイミングで伝えるべきか、伝えないべきか、どんな表情でいるのか、、、というところまで、意識的に行っている。それは、クライエントを尊重するためであり、クライエントの持つ課題を改善するために重要だと考えられている

・カウンセラーが一方的に指導をするのではなく、クライエントの「好ましい状態」を維持するために、「選択理論で行動する」という選択肢を提供すること

・すべてがカウンセラーの押しつけではなく、クライエントの「あなたがそれを望み、選択したいのならば」ということが前提であること。

「あなたがそれを望まないのなら、私にできることはありません」という毅然とした態度

 

グラッサー博士の態度は驚くほど冷静だし、丁寧だし、親切だし、そして気が長い。

カウンセリングの後、クライエントがどうするのか、どうなるのか、は全くクライエント次第。

カウンセリングのたびに、そのときのクライエントの状態に合わせて、最善を探っていく。

 

私の持つカウンセリングのイメージは、

「何が問題か」「それはなぜおこったか」「そのときどういう気持ちだったか」・・・と何が問題かをつきつめ、そこを解消していくもの、だった。

 

が、

この本に書かれる「現実療法」は「今このとき」から、何を選択していくのか、を考えるカウンセリングだということ。

クライエントが「できない」と思っていることも、「問題を解決するために、できるできない、ではなく、必要なこととして行動を選択するのだ」ということを、クライエントが納得ができるように対話していく、ということ。

 

「心理学」という言葉が、あたかも相手の心理を操るためのもの、

相手の心を読む(そして自分にとってどうかを知る)ためのもの、

と思いがちだが(もうそれも一昔前の感はあるが)、

そうではなく、

自分の心、人(相手)の心のあり方を知り、より望ましい方向にするための学問であり、何ができるかを考えるための材料、と捉えたらいいのかな。

 

 

私が心理学に興味があるのは、

自分がよりよく生きるため、自分と身近な人の関係がよりよくなるため、

そして私が関わることができる人たちがほんの少しでも気分良く、心地よく生きるためのお手伝いをする、考え方の基礎にしたいから、なのだと思う。

 

繰り返し書いてるけど、

まずは自分。

平行して、職場でも意識できるようになれれば、すごく意味のある学びになる。

地元の食イベント

9月9日(日)

 

行きつけのお店に置いてあったチラシを見て、

「地元のウマい食材とスゴい料理人が大集合!! vol.4」

というイベントに行ってみた。

 

美味しいものがお得にたくさん食べられるのかしら💕と勝手に想像して、

チラシ情報以外は把握せずに家族で行ってみた。

 

会場が、パーキングビル8Fで、「??」と思いながら行ってみたら、

まんま立体駐車場で、吹きさらし、ちょっと汗ばむような気温。

各お店が屋台をだしていて、祭りのようにおいてあるテーブルとパイプイス。

 

全体の感想としては、

なんのイベントかしら・・・?まぁ、美味しかったけど。

というもの。

 

会場の目新しさはあるものの、けして快適ではないし、

イベントとしての配布物はなく、

このイベントならではの特色が感じられず、目的もよくわからず、

お得な感じもなし・・・

 

せっかくなのだから、と思って、各屋台のフライヤーをもらい、お店の方とお話するようにはして、愛想の良い店員さんとのお話は楽しかったのだけど。

 

各お店の方も、ふつーに、祭りの屋台みたいに、食べ物を売ってるだけで、

「うちの売りはね!」とお店を宣伝するでもなく。

 

うーん。

 

たとえば、食券売り場で、イベントの主旨を示すパンフがあって

出展店舗の一覧と配置図、各お店の売りをまとめておくとか、

何かないと、ただ行って、お店の名前も覚えず、食べるだけになってしまう。

 

最初に食券を購入して、好きなお店で買うシステムなのだけど、

食券(500円券)の金額は関係なく、各お店で、普通に値付けされており、

「235円」の商品とかあったら、普通におつりがもらえて、現金で買える。。。

だったら、食券いらんやんけーーー

人数把握のため?だとしても、一人で2000円分の食券を買う事もできちゃうし。

 

イベントの主催側になることがあったら、大事なことは

何にせよ、目的意識なんでしょうね。

なんのためのイベントか、なんのためにこの食券があるのか、

各出展者とイベント全体の目的を共有するとか。

我が身を振り返ることにします。

 

この日のおでかけでよかったのは、

そのパーキングビルの1Fが手芸屋さんで、

一緒に行った下の子の大好きな毛糸が市内では珍しいくらいたーーーーくさんあったこと!

これは大きな収穫だったので、このためのおでかけだったとしよう!(^^)