天鵞絨(びろうど)と紺碧(こんぺき)

40代後半アラフィフ女性の日常記録。ブログ名は好きな色の名前から。ひっそり綴りたいので、リンクはお断りしております。

学んでいること

現在学んでいること。

「聴き方のスキル」と、「産前産後サポート」。

どちらも期間限定で、週1回ペースの講座形式。

 

加えて、月一の読書会と、アドラー心理学講座。

それに、お仕事の子育て支援ひろば。

 

すべてに共通して私が吸収して活かしたいと思っていることは、「コミュニケーション」なのかな。

 

「聴き方」は、とても実践的でお役立ち度満点!

全8回のうちの6回を終了。

あと2回なんて寂しすぎる。。。

4回目までは、なかなか実践につながらないなぁ、と感じていたけど、

その後、娘との会話で実践できたり、職場でも(これがとても嬉しい)活かせたり。

それ以外の講座で、参加者さんとワークするときなどにも、

とても役に立つ。

友人との会話でも活かしたいけど、

気心知れた人が相手だと、自分が話たくなるので、実践が中途半端(^^;

それはそれでいいのだけど、今日は聴くぞ、と思っていても、まだまだ改善の余地あり。

なぜ思ったような聴き方ができないのか?と自分を振り返るきっかけにもなる。

 

「産前産後サポート」。

内容充実の講座で、妊娠中から産後まで、最近の知識を仕入れてひろばの仕事に活かしたいと思って受講。

初産妊婦の高齢化や、核家族化によるママの孤立感など、認識はしてたけど、より具体的な現象として感じる。

今日はおんぶや抱っこについても実習。

大流行りの抱っこ紐「エルゴ」。
実際のところどうなの?!ということや、付け方の実習など、ママさんの今を体感!

おんぶ紐の効能も知り、自分の当時のおんぶの仕方はそのメリットを活かせてなかったことが判明!

うーん、もっと早く知りたかった。。。

ひろばのママたちとも、自然にそんな話ができたらいいな。

 

いずれはすべての学びを統合できるようなアウトプット(仕事?)の形を見つけたいと思っているのだけど。

どうなるのかな。

自分でもワクワクしておこう。

 

 

 

「オーケストラ・クラス」

映画「オーケストラ・クラス」を観て来た。

 

原題は「La Melodie」。和訳は「メロディー」だそうな。

 

私流にまとめると、
プロのヴァイオリニストが、初心者の子ども達(小学校高学年くらい?)にオーケストラでのヴァイオリンパートを教えていく中で、ヴァイオリニストは教育者としての感情が生まれ、子どもたちは音楽により成長していく様子を描いた映画。

(映画.comでもこれくらいのあらすじが載っていたので、ネタバレではないでしょう。)

 

ヴァイオリニストの演奏シーンがすごく自然で、これはほんとの演奏?当て振り?!と疑問に思うほど。

ちゃんと演奏している人がみたらわかるのかしら。
主演の俳優さん、シブイ演技もよかったし、グッド。

 

全体としては、まぁ、ありがちな流れというか、安心して観られる内容。

劇中で演奏されるクラシック曲が超有名曲ばかりだったので、もうちょっとマニアックな選曲にしてほしかったなー。

欲をいうなら、お、この曲なに?!と出会いにワクワクするような曲がよかった。

子どもたちの演技も素晴らしかったなぁ。

演奏もそれぽかったし、音楽ドラマによくある、

「演奏中は顔アップばっかり」なシーンが少なめ(に感じただけかもしれないが)で、違和感なく楽しめた。


フランス映画であったがために、フランスの風景やフランス語の響きを楽しめたり、

人種の多様性に純粋に驚いたり、という複合的な良さがあった。

見慣れてるアメリカ映画や邦画だったら、すじがきの物足りなさを強く感じてしまったかもしれないなー。

とはいえ、私は映画館で音楽ものを観ることに幸せを感じるので、

今日も良い時間を過したのでした。

雑感

家族の、今思うところをそのまま書いてみる。

半年後、1年後、、、振り返ったらどう思うのかな。

 

娘1:中1。

吹奏楽部。練習や本番による拘束時間が長い。先生も厳しい。厳しいというのが良い意味もあるようだが、話を聴いてるとキレる怒り方をするようだし、言葉のチョイスもひどそう。。。でも、生徒が上手くなるから、生徒たちもそれが必要だと思っているフシがある。。。時間をかけずに上達させたら、本当に良い先生なんだろうけど。

来年度は顧問が変わるらしい。

これ以上厳しい先生になったら、部活を辞めると言っている。

私は思うようにしたらいいと思っている。実際どうなるのかな。

真面目さゆえに、勉強もがんばりたいらしい。

テレビも見たい、ゲームもやりたい、Twiceも聞きたい、マンガも読みたい、あれもこれも、、、どう考えても時間が足りない。でも睡眠時間もとらないと体がもたない。

食欲旺盛。

坂道のきつい登下校、教科書の入った異様に重い学校かばんを背負って徒歩で片道30分、膝が痛いと言っている。

ときどきテンパって泣いている。

先週、学校を1日休ませた。朝は青い顔をしていたが、昼には笑顔が戻ってきた。

がんばってるなぁ・・・と思うばかり。2年生になる頃には、もう少し力が抜けるんだろうか。

 

娘2:小3。

絶好調と絶不調が交互にやってくる。

頭の良い子だと思う。好奇心旺盛。負けず嫌い。欲張り。我が家的ユーモアのセンスあり。想定外のことに弱い。短気。キレる。努力家。手先が器用。精神面は不器用なところがある。真面目。

いろんな面を持ってるなぁ。表情がよくかわるので見ていて可愛いし楽しい。

素直だったり、かんしゃくおこしたり、小学3年生ってかわいいなぁと思う。大人になっていくんだなぁというポイントのぎりぎり境目かな?!と感じる。

今のクラス、なかなか強烈な個性が、一人二人でなくたくさんいて、しかも担任が新卒1年目の先生!参観会でも「このクラスはどうなっちゃうのかな?!」と感じたのだが、娘曰く「世界一・・・ううん、宇宙一大変なクラス。」とのこと。

生真面目で、人が怒られていても自分がイヤな気持ちがしてしまう性格、毎日しんどいだろうなぁ。。。

娘1とは違う日に、先週1日学校を休ませた。姉妹、シンクロしちゃうところもあるんだろうなぁ。でも、翌日から、休ませる前よりむしろ機嫌良く学校行ってる。

こちらもやっぱり、がんばってるんだろうなぁ、、、と思う。

 

ダンナ:家族の中で比較的安定している人。

すごく楽しそうでもないし、すごく辛そうでもない。ポジティブすぎるでもないし、ネガティブすぎるでもない。以前はキレやすかったが、ここ1年くらいは、基本ダンナはダンナ、という感じ。それが疎ましく思うときもあるし、好ましく思うときもある。

最近は下の子の逃げ場になっている。上の子にはちょっと煙たがられてたり、あまり友だちに見せたくない存在になっている様子・・・(気の毒)。

ネガティブすぎはしないけど、基本的に、まずは物事をマイナス方面から捉える人なので、そこが変わるといいのになぁ、と思っているけど、まぁ変わらないのだろうなぁ。

 

私:楽しくすごしているけど、物思いに耽りがち。

仕事も週1か2、と楽させてもらってるし、その仕事自体も結構楽しい。

お金と時間をかけて学んでいることもあるし、人に恵まれているなぁと日々感じていて、そこここに幸せを感じる。

だけど、心のどこかにいつも影がある。いつも思考の片隅にある人の存在がある。早くそれを消し去りたいのに、消し去れない。母ではない。母ならもっと楽かもしれない。

その存在のおかげで、ぐるぐると思考が巡ってしまう今日このごろ。

それを作り出しているのは自分なのに。それから逃れたくて日々もがいている。

自分の感じていることは何か、それをどう捉えるか、どう考えているか、どう行動するか、どれが自分の考えか、本当に自分の意思で選択しているか、、、

考えてる。考えてるつもりで、思考が止まってることもある。

考えてるのがまどろこしくて安易に行動する。

これが自分の選択、これでいいんだ、と自分で自分を応援しながら行動する。

無意識の選択を意識的にする、その積み重ねで自分を作っていく。そんなこのごろ。

旧交を温める

10月27日(土)

 

母の見舞いに関東へ。

お見舞いの後は、旧友と会う。

 

中学時代からの親友が、でてきてくれることになって、
前回会ったのが震災後2年後くらいだったから2013年かな?
以来の再開。

特急で1時間くらいの場所だけど、会いたい!とでてきてくれた。

 
彼女は大学時代こそ県外にでてたけど、

ずっと地元で福祉の仕事をしてきた人。

 

その彼女とこのタイミングで会って、

ゆっくり話せたことは、とても意義深い。

 

このところ私の中で大きな割合を占めている「不登校」というキーワード。

その根底にある、親子関係。

親の子に対する接し方。

親のものごとに対する捉え方。

 

自分の考え方の方向性はできている。

その考え方を共有できる人もいる。

がしかし、自分の身近にいる不登校の親子と接するときに、何ができるのか。

何ができないのか。

もし自分の子どもが不登校になったときに、自分がどうなるのか。

どう考え、何ができるのか。

 

そんなことを、なんのてらいもなく、彼女と話した。

数年ぶりなのに。こまめに連絡とってたわけじゃないのにね。

 

彼女のお子さんも、発達において周りとの違いを感じていて、

母として、その都度考えて、周りに伝えて、サポートしてきたという。

そして、彼女の仕事においても、

子どもの発達の凸凹や不登校の親子に関わってきたという。

 

実際のケースについても、

とても参考になる話を聞くことができた。

実際のケース、というのは、現在進行形。

この後どうなっていくかわからない。

当事者の方が今できる最善と思えることを、選択していく。

そこには、行動と決断、がある。

そして、行動した先に人のサポートがある。

私自身が当事者となったとしても、

私の身近な人に対しても、常にそれを意識することだ。

 

もともと、中学時代から、優しくて、人を思いやる人だった。

福祉の勉強ができる大学へ行き、地元に戻って、

公的な福祉の事業所で20年働いた後、少し仕事のペースを緩めていたところ。

 

こうして久しぶりにあって、

お互いの話をしてみたら、同じような方向を向いている。

しかも彼女は、元々の職場の方数人と、

独立した施設を立ち上げようと計画しているところだという。

長い付き合いの中で、アップダウンがあったことも知っている。

今のご主人と知り合ってからは、本当に穏やかで、

震災も乗り越え、

また着実に自分にできることを社会に提供していこう

という彼女の前向きさに、胸が熱くなる。

と同時に、私には何ができるのか、どうしたいのか、

また問いかける。

 

不思議なご縁だ。

高校を卒業してからは、お互い拠点が変わっているのに、

続いている仲。

一学年12クラスというマンモス校の中で、

部活も、住む地域も違った彼女を選んだ

中学生の私に、ありがとう、と言いたい気分(^_^)

私も彼女に負けないように、学びと歩みを進めていきたい。ね。

 

 

三ヶ月坊主

最近ブログが書けない。

 

ものすごく私にありがちなパターンの、「三ヶ月坊主」。

そもそも目標は「ほぼ毎日」書くことだったのだけど、

まぁ、それが三日に一度、くらいになるのは自分の中では許容範囲。

けど、今月に入って、まだ投稿記事が3本、というのは少なすぎる。

 

そこで、分析と見直し。

 

書きたいことはある。書く気もある。

けど、書けない。

書きたいことが溜まっている状態。

 

最近見たネット記事で、仕事の報告書か何かの先送りについて、

「過去について書くというのは、

まず思い出す作業だけでエネルギーを使う。

だから気が重くなり、また先送りしてしまう。」

と書いてあって、

「あ、それ」と思った(^^;;

 

その予防は、

こまめにメモしておくこと、だと書いてあった。

 

それもひとつだけど、

私のブログについて言うと、

今日のことを書こう、ということだな。

または、今思っていることを書く、でもよし。

 

メモがあったり、文章が浮かんでるときは、過去もあり。

 

ということで、また仕切り直し。

せめて週2本を目指して、再挑戦。

自分を勇気づけるアドラー心理学 7つの知恵

『自分を勇気づけるアドラー心理学 7つの知恵』 岩井俊憲

 

図書館より。

全体の感想。

読みやすく実践的に書かれているのが良い。

 

わかりやすく書かれているのだけど、

章立てというか、構成?が私とは合わなかったみたいで、
「7つの知恵」というまとまりで入ってこなかった。

(とすると、余談だけど、コヴィーの「7つの習慣」て、構成からしてすごいんだなぁ。。。)

 

以下、メモ。

◯「言葉」「イメージ」「行動」の3つを味方につける

理想の姿を「断言」する

理想の姿をイメージする「断想」

理想の姿でふるまう「断行」

 

◯具体的な目標を持ち、プロセスの中で自分を勇気づける

 

◯新しいパターンや習慣を身につけようとするなら、

今まで普通にできていることを、自覚的に打破していかなければなりません。

それには勇気と忍耐力が必要です。

 

◯「みじめさ」は、プライドや悔しさを心の中に持ち続け、

自分を燃やし続けようとする限り、自分を高める原動力になる。

 

◯劣等感はあっていい。

「対自的劣等感」(「嫌われる勇気」での「健全な劣等感」)は、

自分の目標と現状の差を埋めるために

建設的な努力、想像力を発揮しようとする。

 

 ◯「変えることのできないものを受け入れる平静な心」、

「変えることのできるものは変える勇気」、

「それらを見分ける知恵」を身につけましょう。

 

◯(ほめる、ではなく)「勇気づける」とは、

「失敗したとき」も「その行為、プロセス」に対して

「その人の成長、進歩」に対して共感する態度。

 

◯相手を勇気づける人は

・「聴き上手」。

・まず「ワイドに見る」。細部にこだわらず、全体像を見渡してコミュニケーションする。

・加点主義発想(反対は減点主義発想)。

 肯定的で結果ではなく、進歩・成長に注目し、喜び、さらに伸ばしていく。

 

◯言い換え

・なぜこんな失敗をしたんだ?

 →なんのためにこのやり方をして失敗したんだろう?

・なぜ言った通りにできないの?

 →どういう風に言ったらわかりやすいかな?

読書会(9月)〜心の片付けとは

さかのぼって、
9月20日(木)


Tさん主催の読書会。

渡辺奈都子『しなやかに生きる心の片付け』を1章ずつ読み、それぞれの感想を述べあう。

 

今月の参加者は3名。

初対面の方がいたにも関わらず、

先生の雰囲気作りと、メンバーの人柄とで、

すっと、

自分が素のままで許される空気感が生まれる。

 

今回はPart1「心の中のやっかいな荷物たち」。

導入部分と侮るなかれ(あなどってたのは私(^^;;)、

人と音読して、感想を述べながら深めていくと、

あぁ、、、しみること書いてあるなぁ〜と再認識。

 

よかったところ。

◯他者との比較で焦りを感じる。

『目的地が定まらないままどんどん不安になる。』

目的地が定まれば、必要のないものに揺さぶられなくなる。

 

◯片付けとは本当に大切なものを見直すこと

いらない荷物に囲まれて「本当に大切なことをいつも探しまわって」いないか?

 

次の点で片付けとは、空間も心も同じ。
・「いまの自分には必要のないもの」、「すでに役目を終えているもの」を捨てる。

・とっておくべき大切なものとは「自分にやる気を与えてくれるもの」「人生の喜びを増やすもの」

 

◯「自分の」というラベルが貼られたもの(価値観や気持ち)、をとっておこう

他人からの評価、他人の気持ち、他人の行動、他人の信念が心の真ん中に並んでいたら、窮屈でリラックスできない!!

 

◯「隣の芝は青い」

隣の芝生がキラキラして見えるのは、ある角度から切り取られているから。

土がなければ芝は育たない。

土という日常(地味で細々とした現在の取り組み)に

栄養を与えることで、芝は青くなる。

隣の芝を覗くより、

自分の生活を味わい、自分の土に栄養を与えよう。

 

ーーー

前々回にご一緒した、同じ小3娘を持つママさんから、

また良い言葉をもらった。

 

「もう、言いなりですよ」て。

うちもそうなのだけど、要求が多くて強い、小3娘。

言いなりになるようにしたら、ちょっと気性が落ち着いて、

兄弟関係が良くなったそう。

わかる。。。

母が言いなりになってあげれば、すごく満足するんだろう、て想像つく。

言いなりって言っても、なんでも言うことを聞いてあげる、

ということでもないんじゃないかと思う。

できることはやる。できないことも一旦受け入れる、てことじゃないかと。

頭ではわかってても、

ついはりあってしまう、大人になりきれない母(私)。

「言いなり」ね。

意識するだけでもだいぶ違うだろうな。

やってみよう。