天鵞絨(びろうど)と紺碧(こんぺき)

40代後半アラフィフ女性の日常記録。ブログ名は好きな色の名前から。ひっそり綴りたいので、リンクはお断りしております。

いろいろな変化その2

今日も書いちゃう。

 

◯小さな変化1

新しい職場で、すっごく面白い人に出会った。

助産師資格を持っているらしい。

それもなっとく、なんだか肝っ玉かーちゃんの雰囲気を漂わせ、

でも、内実は、肝っ玉というより、繊細な乙女なよう。

ずっと頭が働いてしまうらしく、どんどんちょっとしたアイデアを差し込んでくる。

でも、全然嫌な感じじゃなくて、おもしろがって私がそれに乗っかると、

すごく喜んでくれる。

この人と組んだら、どんどんアイデアが形になりそう。

 

そして、今の職場は、その形になったものに、まずは感謝してくれて、

そこからさらに、改善してくれるのだ!

まだ、その職場に関わり始めたばかりで、なに?この感じ?!とつかみきれてないのだけど、

けど、すごく居心地がいい!

停滞して安心する居心地の良さではなく、

自分の投げたボールを、誰かが受け取って、投げて、発展させてくれる感じ。

 

こんな仕事の仕方、今まであったっけ??

一人一人が大事にされているけど、チームで動いている感じ。

動けない人も、それで受け入れられていて、

でも、できることをできる範囲でやってね、って仕事は振られて、

その人も、いい仕事してて、びっくり。

 

気付いた人が変化を加えていくから、

次回行ったときには、驚くような変化が起こってることもある。

でも、ぜんぜんイヤじゃない。むしろおぉって、嬉しい驚き。

 

なんだなんだ、この感じ。

 

あ、気付いたらチームについて語ってた。

 

その中で、ひときわ私の目を引く女性がその人で、

もう、一緒にいると、おもしろくてワクワクするww

仕事上で、なんだけど。

 

今後どう発展していくのか、ワクワク。

 

 

◯小さい変化2

新しい職場での出会い、仕事のやり方が前向きに楽しくなる一方で、

 

これまでの、あるコミュニティーを、手放してもいいな、

と、

ふと、

思えたときに、

 

あれ、私、次のステップに移行するのかな?

って思えた。

 

いやいや、それって私にとっては勇気のいることで、

実際、行動として現れるかわからないけど、

でも、

これまで手放したくないと思っていたものを

手放せるかも?って思ったときに、

ふと、軽くなる感じがあったから、

 

たぶん、近い将来、そうするんだろう。

一旦手放してみて、自分で残したい、

と思った個別の関係だけを残していくんだろうな。

 

なんて、思ってるけど、実際どうなるか。

 

これが、現実になったら、「大きな変化」、だな。

いろいろ変化が

殴り書きで。

いつも書きたいことはありながら、
勢いで書けずに先延ばし。
今日はともかく書いてみよう。

◯大きな変化1
私のことを無視する方が、
職場からいなくなることに!!!

心屋さんが、Podcastのお悩み相談で
「いやな人は、そのうちいなくなるよ」
と、回答したり、
リスナーから、
「心屋さんの言う通り、いやな人がいなくなりました!!」
なんて投稿を聞いたりしていて、

そうなるんじゃないかなぁ、て思ってたら、
ほんとにそんな流れにwww

8月末で、とのことなので、実際そうなるかわからないし、
その方がいなくなると、職場としては大打撃なので、しばし混乱すると思うが、

でも、
結果的に、
職場は良い方向にいくのではないか??
と、
とても楽観的にとらえている私がいる。

ははは。

あとは、
無視される原因を考えたときに、
私も悪かったかなぁと思うところもあり、
そのことを謝ってみたら、
急にその方の態度が軟化したwww
人って不思議ですな。
私は謝っただけで、なにかを反省したり、変えたわけじゃないんだけどね。


◯大きな変化2
どうにも私のウォチ(ネット用語ではヲチ、というのかな?)が辞められない
前の職場。
私が病んで辞めて、その後任におさまった、私としてはとても仕事ができると思っている方が、
どうにもこうにも我慢ならん、と私にSOS?をだしてきた。

うーん。
もうそこまでイヤになってるなら辞めた方がいいよ、
すぐにでも辞めていいと思うよ、と伝えた。

特殊な職場なので、
ある点において賛同(賛美?)できなければ、本当にきつい、いる意味を感じられない職場なのだ。

その方は、
「辞めるかどうか相談したいんじゃなくて、
辞めたい気持ちを聞いてほしいんです」
というようなことを言っていた。

とはいえ、
これまた特殊な職場なので、
すぐに辞めるかどうかわからないし、
その方の気が変わることもあるかもしれない。
(おそらく、同じことを繰り返すので、早いとこ去る方が私はいいと思うが。)

状況が大きく改善して、気が変わるならいいのだが。

これは私とは無関係ともいえるけど、大きな変化とも言える。
なぜって、自分を責めて責めて責めて辞めた職場で、
全く違うタイプの人に、同じようなことが起こったということは、
私だけに問題があったのではない、ということだから。

辞めてから時間が経って、だいぶ落ち着いていろんなことを整理して振り返れるようになったときに、やっぱりフィフティフィフティだったんじゃないかな、とは思えたんだけど、
今回のことで、その確信を深められた想い。

とはいえ、その前の職場も、今でも思い入れがないわけではないので、
すべての人にとって、居心地のいい場所になればいいのにな、と願うばかりである。

そのためにも、
私の「ネガティブウォチ」を早く辞められるといいんだけどね(^^;;
わかっちゃいるんだけどね。

一歩ずつ。

今日のところはここまで。

変な感じ

6月18日(火)満月の翌日

 

昨日はなんだか変な感じだった。

私が、だけでなく、家族も、そしてでかけた先も、なんだか変だった。

 

朝から小刻みな用事があってバタバタしてた。

最初にでかけた先は、そもそも気が乗らないけど、やっておいたほうがいい用事。

笑顔で行って帰ってきたけど、スッキリせず。

まぁ、これはそんなもんか。

 

帰宅後、オンラインで勉強中の仲間と1対1で練習。

それまでの成果もちょっと感じられて良い感じ。

相手の方もさすがの実力。

でも、相手の方の2歳のお子さん、いつもは割と機嫌いいんだけど、今日はなぜかグズグズ。

ま、でも2歳だし、そんなもんよね。

 

その後下の子の参観会。

一緒に行ったママさん、口数少なく、疲れてるのかなぁ、という表情。

参観会中、壁の絵が1枚静かに外れる。画鋲落ちたっぽいけど見つからず。

参観会自体は、英語の授業で、楽しくやってた。

 

帰宅後。急激な眠気に襲われ一休み。

一緒に帰宅した娘が突然キレて超不機嫌に。

なだめすかして、一緒にお出かけ。

 

車中で娘寝る。店について、起こすのにも一悶着。

でかけた先の喫茶店

どうやら姓名判断の占い師さんがしゃべってた模様。

割と大きな声で話すので、全部筒抜け。

大人な話しが大好物の娘もじっと聞いてる。

 

でも、それがあんまり良い話じゃなくて、

事故にあうとか、病気になるとか、あなたは自分勝手だからとか、

子どもたちがどうとか。。。

まぁ、私には関係のないことだし、こんなことあってさーっていう笑い話にもできるけど、もやもやと残ってしまう感じ。

 

けど、それを察してか察せずか、お店の方がいろいろとサービスしてくださった(^_^;

ミルク多目のミルクティーと、牛乳プリン。

ふふふ。こういう気遣いが好き。

 

帰宅したら今度は、上の娘が勉強しながら座ったまま首かっくんの状態で爆睡。

そんな姿勢で寝てるのみたことないから!!!

ソファに移動させて寝て、起きてからの機嫌の悪いこと。

頭が痛いだの、咳がでつづけているだの。

 

唯一、夜帰ってきた相方が落ち着いてたかな。

夕食食べ始めたのが遅い時間だったんだけど(20時ごろ)、

その後、私に来たLINE連絡。

ドゥーラとしての初仕事の予定があって、それに向けて私の気持ちをあげていってたのだが、その仕事のキャンセル連絡。

ずーーーーーーーん。

昨日一番の凹みごと。

隠しきれないほど沈んでたら、下の娘がよしよしと肩をさすってくれた。

まぁ、そんなこともあるよね。

何かしら、理由があるにせよ、これからもきっとあること。

 はぁ・・・と深いため息をついて、

気を取り直した頃から、なんだか変な感じが晴れてきて、

夜は、娘たちの機嫌もよくなり、

私も仕事がはかどった。

 

こういう日もあるよな、と自分に言い聞かせて平静を保った昨日。

今日はどんな一日になるかしら。

天気もいいし、新しい場所に行くので、ワクワクする!

 

凹んだわたし。復活するわたし。

今日は思いつくままに制限時間内で書ける物を書こう、と決めてみた。

昨日は、、、凹んだ。

職場でのことで、凹んだ。

はぁ。

私はこの職場にいないほうがいいのかなぁ、

いなくても回る人材は揃ってる訳だし、

週一しか行ってないし、

いなくてもいい、じゃなくていないほうがいいのかなぁ。

・・・

 

と。

いかん、いかん、

自己受容、という言葉を思い出して、

まってまって、自分で自分を応援しなくて誰が応援するのか。

まずは、指摘された課題はどこだったのか。具体的に。

そして、本当に私がいないほうがいいのか。私がいるメリットは一個もないのか。

誰かからいないほうがいいよ、て言われたのか。

 

ふう。

 

と一呼吸置いたら、ふと、

あの方々と同じ資格を持つってどういう感じなのかな?と私にささやく声が・・・

その資格について、どうやったらとれるのか、なにができるのか、調べてみる・・・

 

そしたら、

 

はぁ、なるほど、これは大変な資格だなぁ。

この資格を持って、経験とプライドがあの方々を作ってるんだなぁ。

なんて思ったら、

私も、ひとつひとつ学びと経験を積むしかないんだなぁ、と冷静になってくる。

 

で、今、受けられる子育て支援に関する講座を検索してみたら、

あ!!

昨年、この仕事に関わるって決めてからすぐの開催で、定員満席で受けられなかった講座があったじゃない。

それが、今募集を開始したところ。

即、申込み。

受講OK。

 

そして、別の職場で、急遽翌日催されることになったプチイベントがあるじゃない。

いずれは、私も開催できるといいな、と思っているイベントだし、

思い切って見学だけさせてもらおう。

そうだそうだ。今関わってる二つの職場、素敵な方たちばかり。

その方達のやっていることを見学させてもらって、吸収すればいい。

いずれは自分でアウトプットすることを意識して見学しよう。

 

過去5年くらいで、徐々に親子と関わる機会は増えたけど、

子育て支援者としては、1年目のペーペーなわけで。

いくらでも学べることはあるものね。

凹んで停滞するよりも、行動を選ぼう。

 

と、思ったら、だいぶ復活した!!

 

凹んだ元の、課題については、周りに相談しながら、地道に進めよう。

 

今日の美容院で髪をショートにして、私らしくいこー!

 

「ネット断ち」「最後の家族」

最近読んだ本の覚え書き。

 

◯「ネット断ち 毎日の「つながらない1時間」が知性を育む」 齋藤孝

 

私なりにまとめてしまうと、「ネットの弊害と、文学(教養と沈潜する時間)の大切さを訴える本」。

 

個人的にちらっと嬉しかったのは、

「インターネットやSNSをやるのは高校生になってからでよいと思う」「高校生以上・・・ネットに触れる時間を制限したり、利用する時間帯を決めておく」というところ。

私の考えに合致していたので。


本書では、教養をつけること、教養とは深い人格に触れること、その方法としての読書を、複数の作家とその名著のあらすじや引用文から具体的に解説している。

また読書に限らずマンガでもアニメでも、深く入り込むこと、「沈潜」が大事だと強調している。

 

本書を読んで、私が実行したこと。

寝る前のネット時間を読書時間にし、朝の起床後も数分でも本を開く。

今のところこれがなかなかいい感じ。

自分の状態によっては、本が読めない時期もあるので、今は体調・気力ともに読書向き。今まで読んでこなかった、「深い人格」と本書で称される作家の本にも触れようと思う。

 

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◯「最後の家族」村上龍

 

 通っているピラティススタジオで行われた心理学講座の講師だった、カレーやさん、兼、心理カウンセラーさんからお勧めされた本。

 

引きこもりで家庭内暴力を振るう主人公を中心に、主人公の家族それぞれの視点で描かれたそれぞれの人生と、家族としての人生の描写が交差して、前に進んでいく物語。

 

ひとつの出来事が父・母・息子・娘それぞれの視点で描かれていたり、個々の時間を描写したり、巻末の解説にもあったが、構成が素晴らしくてぐいぐい引き込まれる。

 

若い頃、村上春樹にはまったときに、(短絡的だけど)村上龍も読んでみよーっと手に取った小説が当時の私にとってはひどい内容で(性的描写が・・・。ものすごく極端な一冊を選んでしまったみたい。もう少し立ち読みして選べばよかったのに(-_-;;)それ以来遠ざかっていたのだけど、さすがに心理カウンセラーの方が勧めてくれる本にそっち系はないよね、と挑戦。

これが極めて真面目な筆紙で、著者のイメージが変わった。

 

なんといっても印象に残ったのはここ。

「親しい人の自立は、その近くにいる人を救うんです。一人で生きていけるようになること。それだけが、誰か親しい人を結果的に救うんです」

 世の中のいろんな家族の問題課題の答えがここに集約されているのではないか。。。

そんなことを感じた。

 

とてもおもしろく、読後感もよかった。

この本に出会えたご縁に感謝。

 

 

嬉しかったこと

子育て支援の仕事で嬉しかったことの記録。

 

2歳のお姉ちゃんと2ヶ月の赤ちゃんを連れた、とっても明るい感じで可愛らしい笑顔のママ。

今日が2回目で、久しぶりに来た、という。

私は初めてお会いする親子さん。

 

お姉ちゃんのほうは遊びに誘っても、恥ずかしそうにしててなかなか心を開いてもらえず。

今日は来場者も多かったので、私は他の子と遊んでいた。

 

しばらくすると、その親子が親子トイレに入っていったんだけど、トイレの中でかなりの勢いで泣いてる声がする。

だいぶ泣いてるな、と思ったけれど、ないことではないので、まずは様子見で他の子と遊んでいた。

またしばらくして、また勢いのある泣き声が続いていたので、「ん?」とその声の方を見ると、トイレから出たその親子が、出入り口の外のところで、引き戸を開けたままやりとりしてる。

 

お姉ちゃんはわんわん泣いてて、下の子はママの抱っこ紐の中でおとなしくしてる。

室内の親子もそちらを気にしている様子。

慣れていないスタッフがへたに近寄ると、子どもによっては余計に嫌がることもあるし、ママによっては、「ほっといてください」オーラをだすこともある。

気にしながら他の子と遊びを続けていると、

「そんなに泣くなら帰るよ!」「遊びたいの?遊びたくてもそんなんじゃ遊べないでしょ!」「帰るよ!」「だっこはできないでしょ!」というママの声。「だっこして〜」「ギャ〜〜〜」という女の子の泣き声。

 

ママも本気で帰りたいなら、引きずってでも帰るように思うのだけど、そうもせず、、、

私もいたたまれなくなって、出入り口のほうにいくと、一緒に遊んでた子も心配そうについてくる。

ママが助けを求めているかどうかは、正直わからない。ほんとケースバイケースだから。。。

でも、正解なんてわからなくても、行動してみよう、と思った。

私がそのママだったら、イライラしている半面、泣きたいのはママだよっ、って心の中では泣き叫んでるんじゃないかと思ったから。。。

 

思い切って、私も外へでて、その親子のそばへ行き、声をかけた。

「遊んで行きたいのかな?」と聞くと、

「もう眠くてわけわからないみたいだから帰った方がいいかと思うんです」とママが言う。(女の子は変わらず大泣き。)

私は「ママはどうしたい?」と穏やかに聞いてみた。

正直、お姉ちゃんが泣いてても強引に帰るのが良いのか、いったん室内に戻って落ち着くまで待つのがいいか、私もわからなかった。

 

そしたら、ママが、すっと我に返った様子で、

「この子抱っこしてもらってもいいですか?」と下の子を指した。

「もちろん、いいですよ、いいですよ」と、親子と一緒に室内に戻り、私が赤ちゃんを抱っこして、

ママはお姉ちゃんをぎゅっと抱きしめた。。。

 

お姉ちゃんはすぐに泣き止み、しばらく、じーっとママに抱っこしてもらってたら、うそのように落ち着いた・・・

 

そうなんだよな。。。

子どもはママに抱きしめてもらいたいだけなんだな。。。

他の来場者さんとは少し離れた場所で私が赤ちゃんを抱っこしてたら、そこにママとお姉ちゃんがやってきて、ママが

「もうイライラしちゃって・・・」と話してくれた。

 

私が「そうだよねぇ、イライラするよぉ」とうなずくと、

 

ポロポロポロ・・・

 

とママの目から涙が・・・

そして、お姉ちゃんをぎゅーっとして

「こんなにかわいいのにね・・・」って。お姉ちゃんは、さっきとはうってかわって、ニコニコと天使のような微笑みを返してる。

 

パパが帰りが遅くてほとんど育児参加できてなくて、実家も県外で頼れず、なるべくお姉ちゃんの相手をしてるのに、まだ足りないのかと思う・・・家事もできない、下の子がほったらかしでそれはそれで自分を責めてしまう・・・と。

 

うんうんうん。ママは十分にがんばってる。お姉ちゃんのことも下の子のことも、じゅう〜ぶんに見てる。

その証拠に、2人とも、こんなにかわいい笑顔が返ってくるじゃない!

もう私は、ただただ、うんうん、よくやってるよ、私もそうだったよ、

ひろばに来るのも一苦労だと思うけど、思い切って来ていれば、だんだんお姉ちゃんも場に慣れてくるし、ママもくつろげるようになると、子どもも落ち着いてくるよ、

また来てみてね。

とお話する。

 

帰りにはお姉ちゃんもママも、爽やかな笑顔になっていた、と思う。

私も、下の子が生まれてからの数年間、姉妹でママ(私)の取り合いをして、しんどかったことを思い出し、胸が苦しくなる。

家にいて、子どものすべての想いを一人で受けとめなくても大丈夫だよ。

大変だけど、一歩外へでてみて、我が子を他の大人に任せてみると、少しかもしれないけど、楽になることもあるよ。

 

子育てひろばという場所で、例え短い時間でも、力を抜いて一息つけるママが増えるといいな。そのお手伝いができるスタッフでありたい。

心がけること1

子どもの行事や、家族の移動や、自分のお楽しみでバタバタ過ぎる日々。

 

噛みしめているのは、幸せと、家族や自分を大切にしよう、という内から沸き上がる決意というかしっかりと沈殿している感情のようなもの。

 

この感情を沈殿させてくれているのは、私を生み育てた親であり、見守ってくれた親族達、育った環境というところが大きいように思う。

 

親、特に母親に植え付けられた思い込みを否定すべし、というと極論だけど、植え付けられた思い込みにしばられることはない、という考えをたくさん聞いたし、実践もしている、けど、大事にすべきものもある。その取捨選択は、自分。

 

そして、我が子には、大事にすべき価値観や想いをひとつでも多く植え付けられたらと思う。 

↑ 後日訂正。これはだめだ(^^;; 植え付けなくてすむなら植え付けない方が良い。でも親から子へ伝えておきたいことってある、ってこの日、なんか強く感じることがあったんだよなー・・・それでこんな書き方になっちゃった。

がしかし、そう思ったものが、子どもにはそのまま伝わらなかったりするんだよね。

迷惑でしかなかったり。

親の心子知らず。

とすると、さらに結局は、自分が大事に思う価値観信念に従って行動するのみ、ということになるのかしら。子どものために、なんて思わずにね。

 

でもね、自分の行動に迷ったときに、「これは(子どもに背中をみせるために)私の価値観でこちらを選択するのだ」と、子どもを理由に、一歩を踏み出せるような気がしてて、それでもいい、まずは踏み出せ自分!と思ってる。

 

さて、今日書きたかったこと。

これから心がけること。

 

◯本を読もう。

きっかけは、Tさんの言葉。「◯◯にはまる人は本を読んでないのではないかと。」というフレーズに、もちろんTさんは私に対しておっしゃったわけではないのだけど、そのセリフを聞いたときに、ビビっと背筋に走るものがあったのです。

それから月に二冊はノルマとしている。(一般的に考えて「少ない」としても!)

一冊は文学。一冊は実用書・自己啓発もよし。

文学を必須にしたのは、ここ数年、ほんとに手薄になってたから。

昨年父に「蜜蜂と遠雷」を勧められていなかったら、その良さすら忘れかけてたかも。

小説は読み始めると、歯止めがきかなくなってしまう(時間的な)ところがあって、その怖さもあって、躊躇してたのだけど、やっぱり私に必要な部分なのだ、と覚悟して読むことにする。

自己啓発本をやめていくこと。+歴史的な名著に手を付けてみること

自己啓発本はだいぶ読んだ。って、読書家な方達からすると全然だけど、私の身の丈からすると、いろいろ読んでは抜けていったという印象。エキスはだいぶ取り込んだと思う。なので、もし読むなら、同じもの再読でもいいから行動にうつせる読み方を。

もひとつ遠ざかってたのが、名著を読むこと。

今年はそれを心がける。まずはカーネギーの「人を動かす」から。これは、「聴き方」の先生でもある浅倉さんのお勧め。浅倉さんはこれを3冊持っていて、何かコトがあると、辞書をひくように必要なページを読んで、自分の行動に落としこむそう

そういう自分の軸になるような一冊に出会いたい。

今読んでいる齋藤孝さんの「ネット断ち」という本にも、自己啓発系の中でも落ち着いた雰囲気の野口嘉則さんも、歴史的名著に向き合うことの効果を説いていた。偶然にもこういう記事に出くわすことが重なったので、いまそのときかな、と思う。

 

長くなったかな。

つづく。